今回は声優さんたちが生の舞台で音楽を背景にストーリーを朗読していく音楽朗読劇に注目していきます。
朗読音楽劇『リーディングハイ』と「ヴォイサリオン」という奇跡
舞台の幕が上がると、そこに現れるのは豪華なセットでも、派手な衣装でもありません。
立っているのは数人の俳声優、そして彼らの前には譜面台とマイク。
そして、静寂の中に響き渡る、ひとつの「声」。
これは「朗読音楽劇」、すなわち『リーディングハイ』の世界です。
言葉と音楽が織りなす幻想の舞台において、「声」は主役であり、命であり、宇宙そのものとなります。
その中心にあるのが、「ヴォイサリオン」という概念です。
これは単なる演出手法ではありません。
「声」と「振動」が持つ力を信じ、物語と音楽の融合によって“魂を震わせる体験”を叶えてくれる場です。
、、と、ここまでは少し抽象的な印象を捉えてみましたが一般的に声優さんがご出演されている音楽朗読劇は様々あり、その中でもヴォイサリオン、リーディングハイを取り上げてみました。
公式では以下のように表現されています。
ヴォイサリオンとは
ホームとなる劇場は、演劇の中心地日比谷に位置する旧芸術座、シアタークリエ。
劇作家・演出家 藤沢文翁が東宝株式会社とタッグを組んで贈る、
役者がマイク前に立ち、台本を持って演じる、朗読スタイルの舞台シリーズです。一流の役者たちの類稀な表現力と、同じく出演者の一人として物語を奏でる最上級の生演奏、美しい照明・美術、役者一人一人に合わせ丁寧に仕立てられた衣裳によって、その作品世界はお客様の想像力で無限に広がってゆき、VOICARIONでしか味わえないこの上なく豊かな観劇体験となります。
ぜひ劇場へお越しの際は、現実をひととき忘れ、チームVOICARIONがお届けする舞台の音と光景に、すべての感覚を委ねてみてください。
ヴォイサリオンの由来
VOICEとギリシャ神話に登場する天馬ARION(アレイオーン)を組み合わせた造語。
声によって聴く者の想像力の翼がどこまでも高く羽ばたいていくように、との願いが込められています。
また、Iの上にデザインされた王冠は「声の王様・女王様」を意味しています。
(公式サイトより)
リーディングハイとは
最先端の朗読劇を発信し続けている藤沢文翁の世界観と
room NB(ソニーミュージックグループ)の持つ音楽性やテクノロジーの融合により
「まだ誰も体験したことのない音楽朗読劇」を追求するエンターテインメントプロジェクト。(公式サイトより)
私もどちらも拝見したことがありますが、リーディングハイは光の技術などを駆使した現代的なステージで大きい規模で開催されている印象です。
対してヴォイサリオンはよりクラシカルな雰囲気で、更にストーリーや登場人物そのものにスポットライトが当たるイメージがあります。
音楽朗読劇の声が描く、見えない世界
朗読劇はもともと、日本では「声優文化」と強く結びついてきたジャンルです。
キャラクターに命を吹き込む声優さんたちが、自らの声で朗読を行い、観客の想像力と心を刺激します。
ですが『リーディングハイ』は、それを一歩も二歩も進めた形です。
ここでは、物語の語り部である声優さんたちが、声だけで登場人物を描き出すだけでなく、音楽と完全に一体化しながら演じます。
音楽は伴奏ではなく、もう一人の「語り手」の様。
音楽朗読劇、ヴォイサリオン
「ヴォイサリオン」という言葉は、架空の存在でありながら、その背後には極めてスピリチュアルな雰囲気を感じられます。
それは、声には魂の波動が宿るという信念のよう。
人は言葉を話すとき、単なる情報伝達を超えて、感情、記憶、そして時には過去生までもが滲み出ます。
その振動は、聴く者の心を打ち、深い次元で共鳴を生み出します。
滑舌や音量ではなく、響き、気配、余韻──そうした繊細な要素に最大限の注意が払われます。
たとえば、静かな吐息のような台詞が、壮大なオーケストラの中で突如響いたとき、観客の胸に涙がこみ上げることもあります。
そこに理屈はありません。
ただ、声が魂に触れたという事実だけがあるのです。
この体験を可能にするのが、ヴォイサリオン的アプローチであり、それは演出家や音楽家、そして出演者たちの共同作業によって初めて具現化されます。
私自身も毎回涙無しには見られないのがこのヴォイサリオンであり、毎回家族や友人を連れて見に行くのですが、誰もが同じようにストーリーや声優さんの演技、エネルギーの繊細さに触れ、心動かされます。
そして何よりその時間を共にした人と鑑賞後の語り合いに花を咲かせることも舞台を見る楽しみのひとつですよね。
音楽朗読劇の、音楽と物語の境界が消える場所、リーディングハイ
『リーディングハイ』の演目の中には、オリジナル作品もあれば、文学作品を大胆に再構築したものもあります。
ですがいずれにしても、単なる朗読劇とは異なる緊張感と没入感が漂います。
それは、観客が「目で見る」のではなく、「耳で観る」ことを求められるからです。
この形式では、観客一人ひとりが物語の「共作者」となります。
目に見える舞台美術が存在しない以上、観客は心の中で登場人物の姿や風景を“創造”しなければなりません。
そして、音楽と声の重なりによって、その想像は深い色彩と質感を帯びていきます。
言い換えれば、声は観客の内面に入り込み、創造の炎を灯す存在でもあるのです。
この想像力、創造力が人間が幸せに生きる上でとても必要としているスキルの一つなのかなと。
何も想像できなければ創造は叶わない。
そんな想像力を刺激してくれるのが音楽朗読劇でもあります。
なぜ今、音楽朗読劇が必要なのか
現代社会では、情報は過多であり、映像は刺激的で、私たちの感性はしばしば麻痺しています。
ですが「声」には、映像にはない余白があり、静けさがあり、深みがあります。
音楽朗読劇は、こうした「静の力」を呼び覚ます試みなのかもしれません。
忙しさの中で置き去りにしてしまった感受性、他者の言葉に耳を傾ける力、自分の内なる声と向き合う時間──音楽朗読劇はそれらすべてを取り戻す“祈りの舞台”でもあります。
音楽朗読劇の終わらない余韻の中で
終演のベルが鳴っても、観客が席を立てないことがあります。
それは、作品が終わったというよりも、自分の中の何かが始まってしまったからです。
音楽と声が作り出した世界が、心の奥にまだ震えている。
その余韻を現実世界へと落とし込もうとしているように。
物語は、声を通して生きます。
そして声は、心を超えて魂を呼び覚まします。
音楽朗読劇という芸術は、そんな「声の奇跡」を信じ、今日もまた新たな物語を現実にも紡いでいくのです。
まとめ
音楽朗読劇を一言にはまとめられない魅力があることをご理解いただけたでしょうか?
生で声優さんたちの演劇を見られるのはもちろんのこと、感受性豊かな一人一人の魂を優しく刺激してくれるのがこの芸術の素晴らしいところでもあります。
ぜひ一度足を運ばれてみてくださいね^^
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